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この地域特有の小高い丘。頂上近くに砦のような、塀で囲まれた家が建っているが、斜面には穴がいくつも空いている。かつてはここにも家があって、地下でつながっていたらしい。外敵の侵入をいつも警戒して、いざというときに脱出できるようにしていたのだ。[撮影:丸山純] |
脇道にそれて、道が行き止まりになると、塀で囲まれた女子校があった。[撮影:丸山純] |
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敷地に入ると、レンガ造りの立派な校舎があった。9月でまだ暑いせいか、中庭で授業をしているクラスもある。[撮影:丸山純] |
教室に入る。机や椅子はなく、生徒たちはコンクリートの床に直接座って授業を受けていた。[撮影:丸山純] |
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校庭の片隅に井戸があり、生徒たちが冷たい水を汲んでくれた。[撮影:丸山純] |
校庭には、チトラルでのプレイグラウンド建設の現地側リーダーだったサイーフッディン君が派遣されてきていて、遊具作りを担当していた。[撮影:丸山純] |
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部族のリーダーや支援者たちに図面を見せて説明するサイーフッディン君。チトラルに根付いた技術が、こうして民族や風習の壁を越えてパキスタン人のあいだで伝えられていくのは、援助のあるべき姿だと実感した。[撮影:丸山純] |
サイーフッディン君が広げているのは、2回にわたるチトラルでのプレイグラウンド建設で、日本人建築家の団塚さん・熊谷さんが描いてくれたスケッチと図面。これをもとに、サイズを割り出し、強度を確保して、遊具を作ってきたという。[撮影:丸山純] |